日本運転代行連盟の歴史

History

「お客様の車を、お客様に代わって運転する」というビジネスモデルを世界で最初に開発した弊社創業者”碓井 幹彦”の起業のきっかけは、彼が当時早稲田大学に合格したことを父親に知らせるために父のオフィスに向かう途中の日比谷交差点にありました。

創業昭和41年

昭和15年7月1日 創業者・碓井幹彦、東京豊島区池袋に生誕。

碓井は、早稲田大学に合格したことを父親の勤務先まで知らせに行く途中、
日比谷交差点で見知らぬおばさんが横断歩道を渡っているのを見かけて手を引いてあげました。
そして、その直後に、それを見ていたと思われる外国人の紳士に声を掛けられ、「近所に薬局はないですか?」と質問されたのです。

生まれて初めて外人から英語で話しかけられた緊張もあって、たどたどしい会話でなんとか返事をしたものの、彼がちゃんと薬局までたどり着けるか不安になった碓井はそっと後をつけていきました。

案の定、薬局を探してうろうろしていた紳士を見て、ついに後ろから声をかけ、身振りで店まで案内しました。

無事用を済ませた紳士は「少しお茶をする時間はないか?」と碓井に尋ねました。

言われるままについていった碓井に、紳士は好意的に話をしてきます。
いろいろな話をする中で、生まれて始めて英語を使ったことや、自分の将来の夢~車を買って日本全国を巡りたいと思っていること~、英語の力をつけた上で将来外国に日本をアピールするための紹介センターを設立したいと考えていること、などを話しました。
その数日後、紳士から電話がありました。
彼はR.GOUYという名で、国際赤十字社の代表派遣団長だったのです。

そして「スイス大使館が大使付きの運転手を募集しているのでやってみないか」と大使館に推薦してくれたのです。
碓井はスイス国旗のついた大使館のベンツに大使館の高官とGOUY氏を乗せ、旅行のお供をしたのを手始めに、その後GOUY氏が任期を終えて帰国するまでの2年間、ずっと信頼される重要な運転手として大使館に奉職しました。

GOUY氏は葉山の別荘(彼は御用邸に隣接する高松宮邸を別荘として借りていました)に毎月碓井とその家族を招待してくるほどの親しい付き合いをしてくれたそうです。

帰国するとき、GOUY氏は「今までのお礼がしたい。この車をプレゼントしたいと思っているがどうか?」と尋ねられました。
そのときは、数年後には東京オリンピックが開催されることが決まっており、また、かねてからの夢でもあった日本を海外に紹介する事業への緒端として「海外日本紹介学生実行会」を立ち上げていた碓井は「車をもらうよりはヨーロッパに行きたい」と答えました。

一ヵ月後、「東京-パリ」往復航空券とソルボンヌ大学からの留学受け入れ証明書が送られてきました。
当時、ヨーロッパに留学するには片道一ヶ月の船旅が当たり前だった時代ですから、破格の招待で、学友や家族は大騒ぎになったとのことです。

一年の留学期間の間、碓井は、日本から携えてきた日本の紹介フィルムや日本大使館に眠る膨大な紹介フィルムを持って各地を上映するツアーを行いました。

このとき、現地の仲間たちと自動車での長旅を頻繁に行いましたが、そのとき、フランスの友人たちは、「喉が渇いた」といってはカフェに車を止めてビールやワインを飲みます。
不思議に思った碓井は「この国では酒を飲んで運転してもいいのか?」と質問したのですが、友人はおどけて「酔って運転できなくなったら誰かを呼んでかわりに運転してもらえばいいさ」と答えました。

このやりとりにヒントを得て、碓井は「運転代行事業」を着想することになります。

昭和41年 「碓井運転代行社」を東京新宿柏木町に創業


昭和41年、帰国した碓井(早稲田大学法学部4年生に復学)は、当時、飲酒運転による交通事故の増加が社会問題になっていたこともあり、早稲田大学自動車部員など総勢16名で「碓井運転代行社」を東京新宿柏木町に創業しました。

羽田空港(当時は成田空港開業前で、国際線発着もすべて羽田でした)での国賓級VIPの送迎なども含めたポーターサービスも行い、創業資金を作ったということです。

世界初の運転代行ビジネスの登場でした。

朝日新聞「青鉛筆」 昭和41年7月8日


羽田空港(当時は成田空港開業前で、国際線発着もすべて羽田でした)での
国賓級VIPの送迎なども含めたポーターサービスも行い、
創業資金を作ったということです。

昭和46年、2月 株式会社東京運転代行会に改組・名称変更し、
24時間営業体制を確立。

ビジネスモデルだけでなく本人のキャラクターのユニークさもあって、
内外のテレビ・マスコミにて頻繁に取り上げられる。

History

沿革


昭和41年早大生が中心となり世界初の「碓井運転代行会」発足、朝日新聞「青鉛筆」欄に掲載される
昭和44年有限会社「東京運転代行会」に改組改名
昭和46年株式会社 東京運転代行会 設立
昭和50年米国ロスアンジェルスに「MIKI International」開設
昭和58年株式会社JDSインターナショナルに改称
昭和62年株式会社インターナショナルサービスセンター 設立 
昭和63年日本運転代行連盟株式会社 設立
平成元年運転代行保険の確立(フルカバー代行保険、日勤火災)
平成7年銀座に本社を移転
平成13年新宿区新宿7-27-3-301に新宿営業所を移設
平成14年運転代行新法制定
平成16年株式会社アイ・エス・シー 設立(東京都公安委員会認定 第300080号)